やばい作戦考えた。

日々様々な活動に取り組み、その記録をここにまとめています。

俺たちは常に‘‘今’’をひいきしてしまう。

ちい、
やっぱり俺達は、常に‘‘今’’をひいきしてしまう生き物なんだなぁ。

目指す未来のために、今何をするべきなのか?

それをわかっていても、今ある安定を壊すことを恐れ、足を止めてしまう。

ふふ、『今はこのままでいい』という言い訳を探すとき、俺達は誰もを説得できる天才的な言い訳を、思いついてしまうみたいだ(笑)

今を破壊するリスクを取り、
大きな前進を得た日本帰国
 
今回、俺はシーズン途中であるにもかかわらず、2週間という短い期間ではあるけど、古傷の治療のために日本へと帰国することを決めた。

もちろん監督からは、
『シーズンが終わってからでいいだろ』と、、、

まあ、当たり前だよな。このシーズンまっただ中に、わざわざ日本の病院で治療をするというのだから。

でも、毎シーズン『シーズンオフの時に治療しよう』といった感じで、ちまちまと応急処置程度の治療を5年間も続けていた俺は、

確信してましたね。

このままシーズン終了を待ち、例年と同じ治療を続けても、俺の右足はこれ以上改善はしないだろうなぁ
ってコトを。

それを確信しているからこそ、
このままシーズン終了を待っていても、何の意味も無いよね。

そう。今すぐ動く必要があった。

今持っている新しい治療の可能性を、確かめに行くべきだろ!

こんな時期にチームを離れたら、クビかな。。。


頭に浮かぶリスクは、
なかなかかデカい。

でも、近くにある不安を恐れて問題を先送りにしても、長期的な視点で見れば何の意味も、前進も無いでしょ。

だから俺は、シーズン途中だというにも関わらず、思い切って‘‘今’’このタイミングで帰国してもうたわけ。

新しい可能性を
一刻も早く確かめたかったからね。

そして
結果的に俺は今回の帰国で、足首の治療において確かな前進を得ることができた。

今回かかった病院で『アスリートの足首』を専門とするドクターに、ぶち当たることが出来た!

様々な方向から撮影されたレントゲン写真を見ると、


『治療可能だ』ってよー!!!


長年前進の見えなかった俺の怪我の病名、そして超具体的な治療方法まで解説してくれた。

そんな病名は聞いたこと無かったが、俺の怪我の詳細を初めて明らかにしたドクターだった。

もちろん、その治療によって何処まで右足が改善するかはわからない。
どんな治療にも完治の保証など無い。でも、


これは大きな前進だ!!


新たに『やるべきこと』が
提示されたのだから。

どうしても、これ以上長く日本に滞在できない理由があったので、9月に治療の予約をして、今回はメルボルンへと戻ることになったが、事態は少しだけ、確実に前に進んだ。


『やることが解っているなら、
今の安定をぶっ壊してでも
‘‘今’’動くべきではないのか??』

最近そんなコトを考えていた俺に、

『おいりょうた、それで良いんだぜ、今をひいきして判断を鈍らせるなよ』
『今をも破壊できる勇気を持て』


そう、だれかが教えてくれたような、
そんな今回の帰国だった。

時間軸をフェアに扱いながら判断を下す。
出来るだけ‘‘足踏み’’を減らす為には、今後も欠かせんな!!!!

 

旅人を持て!チャンスは塀の外にある。

数年前から、
『サッカー以外の業界からサッカーに応用できそうなものは無いか?』と、

色んなジャンルの人達と会うようになり、
自分の知らぬ世界に目を向け始めた。

当然シーズンオフの帰国時や、
週末のオフを使うわけだけど、
こういった活動を開始して数年が経った現在、
この『外界を学ぶ』という行為は、

『とんでもない可能性を秘めてるなぁ』と思うと同時に、
な〜により、面白い!

一見‘‘サッカー’’とは無縁に見える世界にも、
隙あらば積極的にクビを突っ込んでみる。

サッカーという業界にどっぷり浸かって閉鎖的にトレーニングする俺の周りに、
隙間時間を使って様々な業界を見て回る‘‘旅人的な自分’’を設置するんだ。

実際に
ヨガインストラクター、野球コーチ、バスケコーチ、整形外科医、
デザイナー、漫画家、経営者、プロテイン屋さん、占い師からパンツ売りの男まで(笑)
今月だけでもかなりの数の方と実際に会って話をした。

そういった外界との触れ合いの中で、
『なるほどね』
『ほほう』
『それは面白い!』
というような感覚を一度でも得る事が出来れば、
ふはははは!!!
収穫ありだ!!


ってなる。

既存の知識や経験と結びつき
今までに無いようなアイディア、
可能性が生まれる。

例えばチャレンジャーズシティも、
そういった活動がキッカケで始まった活動だしね。

もちろん、これはサッカーに限った話じゃないぞ。
趣味が仕事に生きた事、仕事が趣味に生きた事、
誰にでも経験があるはずだ。

やってることはこれと同じ。

ある場所での常識は、
別の場所ではとんでもない非常識となる場合がある。
そこにぶち込むだけで、『非常識な変化』となる可能性があるわけだ。

‘‘ッグチャンスは塀の外にある’’
これを発掘しろ!!!!

つまり、俺の中にある旅人的なメンタリティーが
新規チャンスの捜索隊になるわけだ。

『げげ!コレ面白そう』って。

出会い、職場、業界、趣味、あげればキリが無いけど、
これら全ての『未経験』や『変化』に対してオープンであること。

過去の経験、蓄積は人生の枠組みを作ってしまうものだが、
その枠組みに捕われて俺たちは視野が狭くなりがちだ!

縮こまるなよ。
自分のアクティブレベルを、MAXまで引き上げ、
全ての方向を選択できるメンタリティー、
旅人の自分を持て!!!!


以上!

続けたヤツだけが、知っている。

 
誰でもサッカー選手になれる方法がある。
それは、たった二つのことを続けるだけでいい。
 
1:『周りの誰が引退しても、絶対に辞めないこと』
2:『地球規模で、契約できるクラブを探すこと』

契約できないなら、地球上全てのチームから探しだせ!!!
おまえを欲しがるチームを、‘‘地球規模’’で探しに行くんだ。

 

この2つをひたすら続けるだけで、サッカー選手になれる。
絶対にだ。

 

いいか、サッカーに上手いヘタは関係無い。
最高の戦闘準備さえ整えれば、誰でも世界で戦える。
テクニックなんて、小学校からガチでやってきたくらいのレベルがあれば、絶対に戦える。

 

子供の頃、スタジアムで見たワールドクラスの選手達とも、
戦うチャンスを得ることが出来る。

 

奴らを目の前にし、真剣勝負を叩き付けるんだ。
続けるだけで時折訪れる、最高のチャンス。

 

何より、

俺の知る限り、今の年代までサッカーをガチで続けていて、

何処のチームとも契約できなかった選手は、一人もいない。
一人もいないんだ。

 

とにかく、本気で続けるだけでいい。超簡単だ。
サッカーが好きなら、黙って続けろ!

 

だって、今周りを見渡してみろよ、
あのとき上手かった選手の殆どは、勝手に諦めて、
勝手にやめて行っただろう?

 

最後には‘‘辞めなかった人間’’だけが残る。そして多くのチャンスを得る。
これでいい。

続けたヤツだけが知っている真実だ。

気付けばあの時のライバル達は、全員いなくなっている。
お前より上手いのに。
 
だから、俺はまだまだしぶとくプレーし続ける。
まだまだ行くぜ。やめるつもりは無い。
テストに落ちても辞めない、クビになっても、5年間怪我をしても辞めない、年老いてもだ!!

お前もサッカーが本当に好きなら、決して辞めるな。しぶとさが大事だ!!
 今日も、明日も、10年後も、

 本気のプレーを、ひたすら続けるだけでいい!カモン!!

能力差があっても、戦える。

 俺はなかなかサッカーがヘタだ。


まあ何を『上手』いの定義にするかにもよるけど、
俺自身が『コイツ上手いな〜』と思うようなヤツは、これまで死ぬほどに沢山いた。


で、今なんで俺が現役を続けられているのかって、
それは単に『いつまでたっても、20年間辞めなかったから』
これだけ。


別に昔より上手くなったわけじゃない。
ダメなところは殆ど変わってない(笑)


今でもヤバいミスをすると、
『フフ、相変わらずいいヘタさだ』と、一人で言いそうになる。


高校時代のチームメイトなんて、
今だに思い出しても『コイツらの上手さは一体どういうことだ!!』って思うし、


今でも同じフィールドでサッカーをしたら、
きっと『こいつらうめーな〜』って思うだろう。


でも、一つだけ 昔と大きく変わったことがあるとしたら、
‘‘能力差があっても、戦える’’ことを知ったこと。


どんなに相手が‘‘上手い選手’’でも、
こっちが優れているモノが一つでもあれば、『互角以上の戦い』は成立する。


それが世界レベルの選手でも、だ。
本当に、たった一個でいい。
一個でOKだ。


『メッシより、俺の方が背は高いぜ』
みたいにね。


一つでも良いからこちらが優れているモノを見つけ出し、
徹底してそこで戦っていく!!


それが出来れば、
場合によっちゃ相手は竹槍、こっちは戦闘機みたいな勝負を設定することだって出来るぜ!


これは何もサッカーに限った話じゃない、
全てのフィールドで適応することができる話じゃないかな。


この勝てる勝負を設定する力を、
いつしか『戦闘力』と呼ぶようになったが、


俺みたいに気合いだけで現役を続けて来た選手には
この戦闘力を鍛えまくるしか、生き残る道はない!!!!!!!


上手くなろうなんて、 オシャレなことは考えるな!
さぁさあさあ!というわけで明日の練習も気合いいれて行くばい。

あるべき姿と、ありたい姿は違う。

16


この国に来てから、
サッカーへの向き合い方が少し変化したんだ。


それは、以前よりも‘‘シーズンの流れ’’を意識してトレーニングをするようになったこと。
昔は、試合前でもお構いなく自主トレをしていたし、
日々の練習状況も、朝練→部活→地元の公園でサッカー→朝練→


といったように、
コンディションというモノを一切考えてい毎日だった。


でも、この国に来てからはそれが大きく変わった。
試合前には居残り練習をさせてくれなかったり、
練習メニューも、当然毎週末の試合を意識したモノになる。


練習というより、調整といった雰囲気が強く、
練習量も高校や大学時代と比較すると、大分少なくなるんですよ。


俺も、初めは『こーいうもんか』と言った感じで、
 チームの活動に従い、他の選手と同じようなトレーニングスタイルをとっていたけど、


一年間そういった‘‘いかにも選手’’といったような生活をしていると 
『な〜んか違くね?』と、若干違和感を覚えるようになってきた。


もちろん、週末の試合のために一週間かけて準備をするのは、選手として当然のこと。
チームの勝ちを最優先にするのは当然なんだけど、


俺はこのトレーニングスタイルが
正直あまり楽しくない。


これは単に性格の問題かもしれないが、
やっぱり俺は、明日や週末のコンディションなんて考えずに、
『高校サッカーですか?』と言われるくらい‘‘量’’を意識してやっていくのが
一番楽しい!


プールで疲れをとる?
湖の周囲をジョギングして試合に備える?
ジャージもそろって。
あーいかにもカッコいいサッカー選手。


でも、こーいったお高い感じは、俺としてはめっちゃ居心地が悪い。
コンディション最優先の日々は、一ミリもエキサイティングでは無いと
昨シーズン途中に気付いた。


これは若い時代、ベンチ慣れしたせいだろうか(笑)


お高い感じは、居心地が悪い。
だからここらで一つ、後先考えない、明日の試合のコンディションすら考えない
‘‘サッカー小僧’’に戻る必要があるな。これは。


•サッカー選手=チームの勝利のために日常を使う。
•サッカー小僧=試合前日もおかまい無し、自分の進化が最優先。
やりたい時にやりたいだけサッカーをする。



この一年間で、完全に気付いてしまった。
後者の方が、サッカー小僧の方が俺には合ってることを(笑)


確かに、チームからお金をもらってる以上
チーム最優先のトーレーニングスタイルを、受け入れるべきなのかもしれない。


でも、俺が求めている姿、求めている日常は
試合前日でもおかまい無し、自分の進化が最優先の姿!


あるべき姿と、ありたい姿はちがう。
そして、俺は今まで常にこの‘‘ありたい姿’’の方を優先して来たわけ。
『団体行動が出来ない』と、批判の嵐は常に吹き荒れるが、それはべつにいい(笑)


というわけで、今回もやっぱり‘‘ありたい姿’’を優先しよう。
2014のテーマ、それは‘‘サッカー小僧’’への帰還。


制限無しにサッカーをしよう。
コンディションなんて、めちゃめちゃで良い!


どうやら今年もチームには、迷惑をかけまくる一年になりそうだけど、
それが俺の今一番ありたい姿だから、勘弁してくれ!
 

もう一度、『今でしょ!』



『今は時期じゃない』


日々沢山の人達と、沢山の言葉を交わしているけど、
ここ一年は本当にこのフレーズとの出会いが多かった。
多くの人達が『こういう理由で、今ではないんです』という説明に、必死じゃん。


本当に『今でしょ!?』って言葉、
流行ったのか!!



なーに言ってるばい。
‘‘今は時期ではない’’ というのは、
チャレンジした後に初めて解るモノだろうが!


『あっちの対岸までボールを投げられますか?』という問いに、
多くの人が『投げてみないと解らない』と答えるはずだ。 


そりゃそうだ。


トライしないと、何も計れない。
現時点の力量でいいから、まずはフルパワーで投げることが必要だ!
まずは本気モード‘‘ガチ’’で投げてみないと、自分が今いるステージを計ることなんてできない。


本気で投げてみるから、
あと目的地までどれくらい足りないのか?
を測定することができるんだろ?


なあ、そう思わないか安藤?(笑)
常に力不足のチャレンジと撃沈を繰り返す。
笑い者になる、白い目で見られる。だが確実に力は付いていく。
ふふそんなヤツが、やばいぜヤツになる気がするぜ。


だからカモンカモンCome on!!!!
チャレンジするのは常に『今すぐ』でいい!


もはや日本人の誰もが知っている『今でしょ』というこの言葉。
いま一度、脳みそにぶち込んでいこうか!!!!

 
じゃ!!!

 

大問題は、武器に変えておけ。


4年間引きずっていた古傷、手術か否かというところまで来ていたが、
ドクターとの相談の結果、リハビリだけで機能を取り戻そうということになった。
 

ふっふっふ、これほどつまらないトレーニングがあるだろうか。
最近はひたすらリハビリの毎日。 


でも、そのおかげでこの一月間、
足首についての凄まじい知識が沢山手に入った。 
毎日ドクターの元へ足を運び、3時間近くのリハビリ指導を受け、
家に帰れば、ネットで様々な医師のブログやレポートなどを閲覧する。


今月、『足首』『リハビリ』『靭帯』等のキーワードを
日本で一番多くネットで検索した人間は、
確実に俺だろ!(笑)


何故ここまで狂ったように、怪我について調べ尽くしているのか。
理由は超簡単、それだけヤバい問題だと思っているからだ。


だってそりゃぁそうだろ(笑)
来シーズンからまたリーグのカテゴリーが上がるのに、
未だに利き足に不自由を感じているなんて。


こりゃ大問題ですよ(笑)
焦ってリハビリや情報収集に没頭するのも当然じゃ。


結果、その問題と引き換えに、俺の足首周りの怪我に対する知識、
人間の動作に置ける知識レベルは、
2ヶ月前とは比べ物にならないほどに高まった。


怪我が無ければ、手に入らなかったモノ。


俺は『没頭できるモノ、情熱があるモノしか武器にはならない』と主張して来たけど、
圧倒的な問題意識にも、次なる武器を生み出す可能性がある。


問題が起きたら、武器に変えておけ!
フフッそんな気構えを持っていれば、どんな問題にも『ニヤリ』と対応できそうだ。

マジメな人ほど、縛り好き。

写真 (20)

やっぱり真面目な人ほど、自分を縛る余計なルールを沢山持つ傾向がある。
昨日、母校でのトレーニング後、
とある学生と話していて、そんなことを思った。


ニートはだめ。
非正規雇用は正社員に劣る。
実家暮らしは自立していない証拠。
遅寝遅起はだらしない。
ワガママ言わない。
大人は嫌いなことも、やらなくてはいけない。
他人の世話になってはいけない。


彼に限らず、こういったルールを内に秘めている人は、結構多いよね。
誰の価値観かは知らないが、根拠の無い‘‘縛り’’が日々スリスリと擦り込まれ、


身体の隅々まで浸透しとる。


そんな人に、一つだけ言っておきたい事がある。
縛り、ルールとは、進路の‘‘枝’’を切り落とす活動だぞ。


これはその大学生の彼にも言ったことだけど、
ルールを増やせば増やすほど、人生の選択肢は減り、
未来におけるあらゆる可能性を狭めることになる。


そういう人ほど、何かの壁にぶつかった時、
『〜がいけないのかもしれない!!』と、またルールを増やそうとする。


窮屈になればなるほど、すぐルール探しを始める。


そんなことより、今あるルールに目を向け、
『どれか外せるルールは無いのか!?』、と。
そういった視点を持った方がいいべ。


今まで大事にしていたルールを、疑ってみる。
そうすれば、意外と必要の無いルールが多かったことに気付くはずだ。
他人から授かったルールほど、実は根拠の無いモノが多かったりする。


ニートはだめ。何故か?
非正規雇用は正社員に劣る。何故か?
実家暮らしは自立していない証拠。何故か?
遅寝遅起はだらしない。何故か?
ワガママ言ってはいけない何故か?
大人は嫌いなことも、やらなくてはいけない。何故か?
他人の世話になってはいけない。何故か?


何故か?という問いに即答できないモノが、自分なりの根拠を持っていないルールだ!
どっかの誰かから擦り込まれた可能性が高いぞ!!


つまり、、、疑うべきモノだ。


これ以上縛りを増やすな、いらないルールを探し出し、追い出すんだ!
今ある不必要な‘‘縛り’’を一つでも多く外すことができれば、
選べる道が増える。人生の自由度、選択肢が増える。


つまり、未来の可能性が広がる。


さあさあ、少しづつでもいい。
すり込まれたモノを、はずしていけ!

迷惑をかけても、人は離れない。

なるべく人に迷惑をかけないように生きる、
そういった心がけをしている人は結構多い。


それ自体はとても良い心がけだと思うけど、
そういった心がけを持っている人ほど、結構それを他人に強要する傾向にあるよね。


そういった人は、
「自分は他人に迷惑をかけていない。だから他人にもそれを求めても良いはずだ」と、
そう思っているんじゃないかな。
彼らは、他人が自分と同じ行動をとってくれないのを許せない人達なんだ(笑)


まあ、「なるべく人に迷惑をかけないように生きる」は大いに結構だけど、
「自分は他人に迷惑をかけていない」というのは、完全なる勘違いだ。


人は必ず知らないところで他人に迷惑をかけるし、他人の世話になりまくっている。
そもそも、『他人に迷惑をかけるな!』とわざわざ指摘する事自体、
迷惑な話だ(笑)


誰がどんな行動を取ろうと、はっきり言って関係ねーだろ!!


常識なんて、今までその人が育った環境のスタンダードでしかない。
育ちが違えば、常識が違うのは当たり前の事なんだ。


多くの人が外国人との常識のズレは許せるのに、
身近な友達との常識のズレを許す事ができない。


育ちが違えば文化も違う、もちろん親が違えば教育も違う。
外国で育ったのだって、コレと変わらないと思ってる。


自分と他人の常識にズレがあるのは当たり前のこと。
受け入れることが一番手っ取り早い対処法だと、俺は思う。


俺は、我ながら他人に迷惑をかけまくりながら、生きていると思う。
サッカーの傍ら、自分で経営している会社でも『コレはめんどくさいから、こういった仕事が嫌いじゃないアイツにやってもらっちゃおう!お〜い!コレやってくれ〜』

なんて事はしょっちゅうだし、

金欠な人におごって貰うときも、
食いまくる。一ミリも遠慮しない(笑)


それでも、俺には仲間と言える人間が多いと思う。『何でかなぁ』とも思うけど、
『こいつには何の気も使わなくても大丈夫』という気楽さがあるからだと、
自分では解釈してる。


これだけ我がままやりたい放題やっているのだから
誰の非常識も受け入れざるをえない(笑)


俺が飯をおごった際にも、感謝してほしいとも思わないし、
皆遠慮しないで食いまくる。


始めから財布が無くてもOKだ!!
だから、俺はいつも金がない(笑)


チーム内でもそう、仕事だってそうなんだ。
例えばね、ウチの社員が『今日は働きたくな〜い!』と言えば、俺は一秒でOKする(笑)
その社員は、即休日となる。


こんな経営でも、ウチは本当に良いチームだ。
問題児だらけの部活と言った感じでね。


人間関係もコレと同じ、自分や他人を誰かに合わせようとするより、
人と人の違いを受け入れる姿勢を持った方がよっぽどスムーズに行く。


迷惑はいくらでもかけていい。
その代わり、他人の非常識を受け入れてやってくれ。


それが一番いいチームになる。




Facebookのフォローはここから。
 

お前の人生において最も重要なモノに、全てをぶっ込んでくれ。

俺もサッカーの傍ら、最近は様々な活動をするようになったけど。
なんだかんだ言って、『自分で生計を立てていくくらいなら、そんなにハードルの高い事じゃないんだなぁ』と、最近強く感じる。


普段の生活の中で手に入る情報、これらをしっかり分析し、
それを行う動機を明確にして情熱をぶち込めば、
特別な知識など無くても、十分に生計くらい立てられる。


もちろんとんでもない大金を稼ぎたいとしたら、
特別な知識や能力が多少必要かもしれないけど、
生計を立てる程度の収入なら、気合い一つでどうにでもなる。


まー俺はお金持ちじゃないので、その先は予想でしかないけど。
思ったことは、書いてもいいでしょう。


だから、起業に成功した程度の人(金しか持ってない人が)が、得意げになって「成功者の法則は~」などと言ってふん反り返っている姿は、いかがなものかと思うわけで、


そう言っている本人達も、自分が成功者だなんて、
本当は思ってないんじゃないかと思う。


多分‘‘経済的成功’’という結果でしか、他人の興味を引きつける術を持ってないから、
必死になって実績にすがり、自分の価値を説得しようとしているんじゃないのかな。


特に、自分のプロフィールに必死になって取得した資格を羅列する人間や、
自分の発信媒体に収入額を‘‘バン’’っと表示している人間に代表されるような、
自分の肩書きや所属母体を自己紹介に使う人間。


こりゃーもう残念過ぎるだろ。


本当に魅力のある人は、その見た目、オーラ的な物であったり、喋らせるだけ、
その生き様だけでも他者との圧倒的な違いをアピールすることができるモノなんだ。


そんな男が、カッコいい。


それに、

‘‘成功の自覚’’
がある人に、俺はあまり魅力を感じない。
成功を自覚している人間は、やはりゴールに到達してしまったという自覚を持つ人が多い。


もっと上があることを見ようとしない、進化にどん欲にならない。
彼らは戦いを止め、進化を止めてしまっているんだ。


戦いを止めれば、後は老いる一方じゃないか!


ちょっと聞きたいんだけど、
自分の不完全と戦っていない人間の話は、退屈だと思いませんかね?
俺は、魅力ってのは常に‘‘今まで’’よりも‘‘コレから’’にあると思う。


魅力ある人は、いつも進化を止めない。
いつも自分の不完全を発見し、戦い続けてるんだ。
俺は自分の不完全に詳しく、その不完全を叩き潰すために、日々戦っている奴が好きだ。


俺の思うに、


所詮一般的な経済的成功なんて、真の野望を達成するための土台、その環境造りにすぎない。
経済的に自由になれば、わりと沢山の時間ができるでしょ?


「人生で最も重要としているモノ」に時間を使える環境が整うわけ。
経済的自由とは、ある意味‘‘没頭の許可’’でもあるかもしれない。


その自由をどう活用するのか?結局これが一番重要だろう?


俺は思う。
経済的自由、時間的自由を含め、あらゆる意味での自由を手に入れた人の殆どが、
大した‘‘自由の使い方’’を知らない。


自由になったのはいいが、日々暇つぶしを繰り返し、変化の無い毎日。
自由を使いこなすことが出来ていないんだ。


自由を目指し、達成したつもりが、
ここへ来て、自由を目指す以前の問題に気づくことになる。


何でこんなコトが起こるのか?
この問いに、俺は自分なりの答えを一つ持っている。


それは、没頭できるモノを持っていないからだ。と思う。
情熱を注げる物を持たないから、自由になっても、その自由の使い道が無い。


結果、ただのニートが出来上がる。
最近は『自由になりたい!!』とか言って起業に走る人は多いけど、
動きの止まった金持ちを目指しても意味は無い。
そんなことより、少ないとしても、今ある自由を存分に使いこなせるようになる方が、遥かに大切じゃないか。


だから結局、好きなモノが大事、情熱が大事なんだ。
情熱を注げるモノがあれば、どんな状態でもお前の動きは止まらない!そうだろ?
こだわり、追求し、進化し続けることが出来る。


だから、
もし今のお前に、寝る間を惜しんで没頭できるような物があれば、超ラッキーだ。
全ての時間、お金を、それにぶっ込むだけでいい。


それだけで、俺たちの進化と幸福は約束される。


本気になれる、情熱の持てるモノさえあれば、絶対に大丈夫だ。
安心して、お前の人生において最も重要なモノに、全てをぶっ込んでくれ。

小さな欲からチームを見てみる。

最近、facebookをよく見るようになった俺だけど。
色々な人の投稿、そしてその投稿についてのコメントを見ていて、少し思う事があったんで、今回はソレについてちょっと書いてみる。


俺が最近よく思う事、
それはっすね、多くの人が他人の発信を素直に受け取り過ぎだと言う事。


誰かが少し真面目な投稿をすれば、
『そんなことまで考えて、えらいね!』とコメントがつくし。

誰かが誰かの愚痴をこぼせば
『大丈夫?』『ひどい奴だね!』といったコメントがつく。


ファミレス等で芸能人の話になれば、『あの人は優しい。だって〜』などと以前に見たドキュメンタリー番組の話をする。


まて、テレビの特集で性格の悪い奴に映すわけないだろ!
準備してから公開されるものに真実は少ない。


「準備してから」というのは”他者に見せられる状態”
になるまで修正を重ねる事ができるということ。


そうでしょ?例えば、
あなたがFacebookで写真等をアップする時、ある程度は他人に見られる前提でアップする写真を選ぶだろうし、『どういう反応がつくかな?』と考えて文章も投稿していると思う。


少なくとも、俺はそうだ。


だから、
あらかじめ準備できる発信物には、発信者の姿ではなく、発信者の見られたい姿が映し出されることが多々あるし。発信者が周囲から‘‘どういう風に見られたいと思っているのか’’が解る時が結構ある。


例えば、『クソ旦那に浮気された!』といった種の投稿には


妻は真面目なのに旦那がクソである。= 妻がかわいそう。
といった認識を周りに求めている様子を見ることができるし。


俺のFacebookプロフィーフ写真からは
サッカー小僧に見られたい。という欲望が見て取れる(笑)


自分の”写りの良い写真”しか投稿しない女性なんかは解りやす過ぎだ。
さぞかし美人に見られたいんだろう。


もちろんね、その全てが”狙いのある投稿”だとは思わないけど、
こういう見方をすると、SNSの発信一つにも発信者の小さな欲望や全く違う情報を発見できたりする。


何気ない行動や発言から、その人の小さな欲望や、もう一つ奥の情報を発見すること。
これって人付き合いやチーム造りにとっても、もちろん会社組織にとっても、
めっちゃ大事な事だと思うわけ。


クッソ小さな言動、発信にも、
仲間の欲望や願いは現れている。

ケツを拭くのに丁度いい。

以前、2年ぶりに日本に帰国した時、 たった数年間で、
俺の周りにはとても大きな変化があることに気がついた。 

それは、皆僕俺の同年代は26歳という若さにも関わらず、
すでに野心や希望を失い。


『まあ食って行ければこのままで良いや』と、


好きでもない毎日を一生受け入れる、
準備ができてしまっていたということ。

コレには本当に度肝を抜かれた。

 何を言ってるんだ??
俺たちはまだ巷のオジサン達が羨むような、
ぴかぴかの若造だぞ!!!! 

たった2年で、
ここまで人はエネルギーを失うものなのか?? 


もったいなかー。 
小学校の卒業アルバムには、
将来の夢を書くページがあったよな?

俺は、そこに‘‘サッカー選手’’と書いたと記憶しているが、他にも、皆色々な夢を書いていたはず。でも、もし今そのアルバムを作ったとしたら、クソつまらないアルバムになることは、間違いなさそうだ。

おいおいそんな文章はトイレにでも置いておいてくれ。
ケツを拭くのにちょうどいい。 

数年ぶりに会って、
『どーよ最近は?』という問いに 

『普通だよ、特にないね』、、、って。。。 


か!!!!! 


いやいや、 『俺たちは数年ぶりなんだぜ!!?何かあるだろう?? かかかもんかもん!!』って、 
ついつい前がかりになっちまうな。

僕は、友人の自慢話を聞くのが大好物なんだ。 
『おい!!今週はこんな事件が発生したぞ!!!』と、
そーいう話を聞くと、 

ふははははぁそりゃやばいぜ!!!と、 ワクワクがぶち上がっていく。 生活全てのモチベーションが一段上がる感覚、これがいい。

俺の方がもっとヤバいぜ!!! 
って(笑)


さあさあ。
歌手になりたい奴はいないのか?
恐竜博士になりたい奴はいないのか? 
王下七武海を目指しているような奴はいないのか? 


ワンピースを求め、
出向してる奴はいないのか!!
 



ふざけた生き方の方が、面白いし。
実際、結果も出るものなんだ。 

たしかに、今となっては叶わない夢もあるかもしれない、
でも‘‘好き’’を捨てる必要は全くない。ソレとコレとでは話が別だ。
叶わない夢があっても、仕事を続けながらでも、好きなことを継続することは誰にでも出来るはず。

そっちの方が、
久々に会ったときも面白い話が出来るはずだ。 

次回合うときこそは、
そんな話をしようぜ!!


、、、、、、、
、、、、、、、

偉そーなこと言ってしまった。


でもこれでいい!!

言ったからには
俺も会うたびに超嘘っぽい本当の話ができるよう、
人生をかけてやっていかねばな!!!!

遊びで仕事を疎かにしろ。

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昨日ブログのデザインを変更してみました。
以前より少し明るめの印象になりました、こっちの方が記事に合っているかと(笑)


それと、俺がシーズン前に行ってる身体造りが、
今度日本の健康雑誌、マキノ出版さんの『壮快』に特集されることになっとるよ。


今回は身体造りに置けるカフェインの代謝効果について語るという意味解らない事態になってるが、まあいい(笑)
以前ブログでも、カフェインの効果について語ったコトがあったけど、
それをマキノ出版さんが見ていてくれたみたいだ。


ふふ、見る目があるじゃねーか(笑)


こうやって、本業のみならず、オタクレベルまで趣味を引き上げるコトさえできれば、
本当に様々なステージで活躍の場を貰える時代になった。


全て狙ったわけじゃないけど、
全ては情熱を持って続けていたもの‘‘だけ’’が引き寄せた現在。
情熱を持てるモノをバカみたいに、愚直にやり続け、それを周囲にアピールするだけで、こんなに沢山の出会いとチャンスが訪れる。


仕事なんてそれだけでいいん。
生活するだけなら、これだけで十分だろ!


いや、まずは収入など気にせず好きなことに使う時間を増やせばいい。
遊びで仕事を疎かにしろ。
それに不満そうな上司がいたら、辞表を叩き付けろ。
生活費のためだけに行っている仕事なんて、本気を出す価値はない。


そんな仕事など、はっきり言ってどうなっても大丈夫だ。
幸い日本に住んでいる以上、まず貧困が原因で死んだりはしないから(笑)
首の骨を折るような失敗は無いと考えていい。日本に生まれたお前はラッキーなんだ。


死ななければ、やり直せる。
復活できる。
死ななければ、ノープロブレムなんだ。


というわけで、好きなことだけをやってても大丈夫だ。
さあ、今すぐ仕事を疎かにする
準備を整えろ!




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類は友を呼ぶ、そして類は人を育てる。


人を正しく評価できる能力が自分に備わっていなければ、
自分が所属すべきコミュニティを間違っちまう。

『類はともを呼ぶ』
という言葉がある、
コレは『結局似たようなやつが集まる』と言っているわけだけど、

この『同類』ってのは
『集まってきた同類の人間』と、
『類の影響を受けて同類になった人間』
この2種類の人間がいるよね、どのコミュニティを見てもそう感じる。

うん、何が言いたいのかと言うと、
この後者の‘‘類の影響を受けて同類になった人間’’。
  
彼等は元々その‘‘類’’と同類だった訳じゃないってこと。
所属しているコミュニティーの影響を受けた後、結果的に同類となった人間だ。

これは『類により育てられた』とも
言えるんじゃないか?
 
これは、前回の記事でも書いたコトだけど、
俺は現段階で不可能なことってのは、誰にでも沢山あると思ってる。

その不可能を可能に変換するためには、
やっぱり今ある自分の‘‘土台’’をガツンと底上げするような作業が、
必要になってくるよな。

じゃあ、その作業を最も効率よく行うには、どうすべきか?
そりゃあやっぱり、質の高いコミュニティで自分を訓練することでしょうが!


コミュニティという船は、上にも下にも人を大きく動かす力を持っていると俺は思っていて、
もちろん乗り間違えれば滝壺行き、しかしその選択さえ間違えなければ、、、、、

自分を訓練してくれる、
ベリーグッドな環境になる。

だから、その選択を間違えないためにも、
自分の所属するコミュニティーはしっかりと、真剣に、ガチで撰びたい。

でも、そのコミュニティで何をするかは、
やっぱり俺次第、か(笑)

何でもまずは自分でやってみる。それが大事。

今日は久しぶりに髪を切った。


じつは俺、
5年前から自分の髪を自分で切ってたりする(笑)


もちろん俺は美容師じゃないけど、
4年間も自分の髪を切っていたら流石に少しづつ上手くなってくる。


はじめは本当にガタガタで、
大学の授業では周りからかなり馬鹿にされたけど、
俺の中に「周囲の人々に笑われるから止める」
という選択肢は基本的に存在しないので、気にせずずっと自分で散髪をしていら、結構マシになってきたわけ(笑)


”できることは自分でやる”
”どこかで調達できるもは買わない”
調達できないのなら”作り出せないか” を考える。


全てを自力で調達できれば、作り出せれば、
貧困すらも恐怖ではなくなる。


俺は大学時代、バイトが嫌いすぎて、圧倒的貧乏生活を送っていた。
それでも、俺は生活に困るようなコトは一切無かった。


本当に金が無い時も、
近くの川に罠を仕掛け、うなぎ、カニ、エビ、等を捕って保存食を作り、
それを、近くの農家に配れば、大量の野菜だってタダで手に入る。
春になれば、近くの野原でツクシも採れる。


米さえあれば、飯に関してはこれで余裕過ぎるぜ!!(笑)


ちなみに、俺は自然豊かな地域の話をしているわけじゃないぞ。
俺の大学は、東京にある大学だ。コレは全て、東京での話だ。


都会の‘‘そのへん’’でこんな生活をしていた。
ふふ、驚いただろう?(笑)


無いものは何とかして手に入れる、作り出す。
どうすれば手に入るか考える。
俺は昔からこんな奴だけど、今となってはこの思考が俺の成長に一役買っているとも思う。
現在俺の最大の特徴であり、武器になっている。


問題が発生した際、
ただ困っているだけで解決策を模索しようとしない人をよく目にするよね。
それは世の中が便利になりすぎて、与えられることに慣れてしまったコトが原因だ。


現代人は、
調達する、作り出す、打開するコトに慣れていないんだ。


お前は何か問題を抱えてるだって?


じゃあ、どうすればいい!?
対策を打たんと、変化は期待できないぞ!!


恋人だろうと、職場の上司だろうと、基本的に長期的に同じ愚痴をず~っともらしている人は、
自分の力で何とかしようとしていない場合が多い。
自分は動きたくないから、相手が勝手に変わるのを期待してるのかもしれないけど。


その願いが叶うことは、無さそうだぞ。


誰かに不満があるなら、嫌だと言ったほうがいい。
その人を変える努力をした方がいい。
その人から離れる努力をした方がいい。
受け入れる努力をした方がいい。


打開策はいくらでもあるはずだ!!
コントロールできない他人の変化に期待をするより、
自分が先に動いた方が、手っ取り早い。


だって自分は自分の意思でコントロールできるんだから(笑)


エサくれブヒッ!っとか行ってる場合じゃあない。
俺たち自身の力で、なんとかしようぜ!
今の自力で解決できない問題は進化の材料、お宝なんだ。


エサの時間を待たない、まずは俺が動く!


その中にこそ、進化の源泉がある。