情熱で飯は食える

俺達は繋がるべくして繋がった。そんな出会いのために書いてます。

俺がヤツらに教えられる事。

 

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スポーツクラブや塾等、学校外の教育機関に求められる役割を土肥なりの視点で書いてみました。自分自身、CCFを運営するにあたって超重要視しているテーマでもある。

子供達は学校で何を学んでいるか?

教育というのは、どこかに素晴らしい教育法が存在していて、それを『ただやっていれば良い』というものじゃないよな。

例えば遺伝×経験が人間の成長を左右するとするなら、この『経験』の部分は、寝ている時間以外全ての時間が当てはまる事になる。だから、どこかに素晴らしい塾があって、そこで毎週お勉強していれば皆ハッピー!なんて事はありえない。

学校、家庭、友人関係、習い事、全てが少しづつ影響を及ぼしあって、一人の人間が育っていく。

理想を言えば、親、担任、塾の先生、部活の顧問など、その子の教育に関わる全員が情報を共有しあって、各機関で足りない部分を補い合う事ができれば最高だ。でも、現実問題としてそれは難しい。

だったら俺達にできることは、少しでも他業界の事を知り、『今の教育じゃ総合的に〜が足りないだろう』とイメージし、それを子供達との向き合い方に反映させ続けること。

特に、CCF(チャレンジャーズシティのサッカースクール)のような週に2時間しか時間が取れない教育期間の場合、全てを網羅する事はできない。だからこそ、俺達は何を外部の機関に任せ、何をCCFで教えていくのか?を明確にし、全体をデザインしていく作業が必要だ。

日本の教育機関に決定的に欠けているモノ

うちのCCFで言えば、例えば『言う事を聞く』『物事をしっかりと覚える』という部分に関してはほとんどノータッチ。そこの部分の教育は学校や家庭に任せている。

どこの学校であれ、塾であれ、宿題をサボれば怒られるだろうし、公式を覚えたり、漢字を覚えると言った暗記力の部分も義務教育の得意分野だ(良い悪いは置いておいて)。それならCCFの教育で『暗記力』を鍛える部分が抜け落ちたとしても、普通に日本で生きてれば自然と身についていく。

しかし、それとは反対にどれほど偏差値の高い学校に行こうが、高額な塾に行こうが、ゼロから考える。ゼロから作る力を育んでくれる教育機関は殆どない。

例えば、CCFの選手に練習後、今日は強いシュートが打てたか?と問うと、『打てた』等の回答をすぐに得る事ができる。しかし、今日の練習はどうだった?と問うと、皆意見に困る事が多い。言葉に詰まってしまうんだ。

学校でもそう、例えば図工の時間に『ここに置いてある花を描こう』と言うと、皆よくペンが進む。しかし、紙とペンを渡して『なんでも良いから絵を描いてみよう』と言うと、多くの子のペンは止まってしまう。

こんな具合に、ある一定のルール下、条件下では答えを導く事ができるが、ルールが極めて少ない‘‘ゼロ状態からのスタート’’にはとことん弱い。

子供に限らず、
日本人全体に言える大きな弱点だ。

人生のロールモデルっぽいモノがあった昔の時代には、そこまで自分なりの回答を持たなくてもある程度楽しく生きていく事ができた。

テストで良い点を取る→良い学校に入る→そこで良い成績をとる→良い企業に入る。こんな具合に、誰かの言う事を忠実に再現することができれば、ある程度の安泰は約束されたわけだ。

しかし、今の時代は全く違う。


時代がぽんぽん変わりすぎて最適な生き方も流動的、さらには『これがいい!』と言ってる奴が多すぎて、実際どれが一番良いのか全くわからない。そんな時代だ。

あらゆる事柄で通用する『普遍的な正解』の無い時代を楽しく生きていくためには、毎日『どうすれば一番良いと思う?』みたいな身も蓋もない問いに、自分なりの答えを出し続けなければいけない。

『俺はこっちに行く』と、自分なりの答えと根拠を即座に探し出す力、それがここで言う‘‘ゼロから考える、ゼロから作る力’’だ。

ちなみに、この『俺はこっちに行く』と言った自分なりの回答は、迷わず出せる事が重要で、『正しいか?』等の精度はあまり重要じゃない。

重要なのは自分なりの根拠を持ち、自信を持って答えを出すこと。どんな道に進もうと、不安がっていて前に進め無い。それこそが最も不幸を呼ぶ。

 

自信満々で的を外したらどうするんだ!

 

 

一応こんな反論にも答えておくと、今後、それは極めて確率の低い話になるから、考慮する必要はない。

なぜなら、時代が進めば進むほど『いかなる方法でもやり方次第で楽しく生きていける時代』になるからだ。

人間はこれまであらゆる『こうだったら良いのにな』を実現する努力をしてきた。今の時代にできることは、昔なら全て魔法にすら見えるモノばかり。その進化は今後も加速する。

だから、今後はアルバイトだろうが、正社員だろうが、フリーランスだろうが、どんな道に進もうが、『こっちだ!』と、立ち止まらず道を突き進み続ければ必ず楽しく生きていける。そんなステージまで必ず到達してしまう。

確かに、選んだ道次第で難易度に差は出る。しかし、それはもはやどうでもいい。

全ての道には『やり方次第で達成可能』の看板が立った。

だから、自信満々で突き進み続けることで道を間違うリスクは、どんどん消滅していく。最も重要なのは、周囲がどっちを向いてようが、自分で考え、決定し、行動する力。

そのスタート地点のなるのが、全ての『どうすれば良い?』という身も蓋もない問いに、自分なりの答えと根拠を見つけ続けること。

まさにゼロから考え、ゼロから作る力が必要だ。

ゼロから考え、ゼロから作る力はどうやって養うか?

じゃあ、実際にどうやったらその力が育まれるのか?

それは、あらゆる問題に対して、できるだけスタート段階から子供達にやらせる事だ。

例えば『ライオンの絵を描け』という課題を子供達に出すとする。当然、モデルを『ライオン』と限定しているわけだから、子供達は上手かろうが下手かろうがとりあえずライオンらしきモノをそこに描くだろう。

では次に、『動物をかけ!』と言ったらどうだろう?指示には一つ具体性がかけた、この指示なら、子供達はライオンだけでなく、ウサギやカバも描く可能性が出てくる。

つまり、

動物って何がいたっけ?
→いくつか候補が出る
→候補の中から一つを選ぶ
→描く

と言ったように、実際に描く対象を決定するまで、かなり考える幅が増えた事になる。以下の画像のように考えるとわかりやすい。

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この図のように、階層が上がるにつれて指示に具体性が無くなっていく。つまり、『生物』や『何でもOK』と質問の具体性を落としていけば、

考え始める地点がゼロに近づく。

子供達に与えるテーマやレベルに合わせて、課題の具体性をコントロールすることで、子供達が決める領域を増やす事ができる。

他にも、例えばサッカーのトレーニングをする時、サッカーグラウンドではなく近所の公園でやるでもいい。

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地域の公園にはもちろん、サッカーゴールも、カラーコンも無い。公園という広いスペースを見渡して、

 
どっちを縦にしよう?
ゴールはどうしよう?
ラインは何で決めよう?

など、普通のサッカー場では当たり前に存在したモノをゼロから考え、作り出さなければならない。その結果、

チャリゴールを開発したり、
水でラインを引いたり、
公園の形に合った新ルールを提案したり、

限りなく‘‘ゼロ’’から、様々なモノが作り出される。

そして、そうした経験を重ねた小僧が道端に小さな空き地を見つけた時。『ほほうこの空き地、あそこにあれを置いて、あれを移動させれば素晴らしいスタジアムになりそうだな』と、気づけば周囲の大人が全く思いもつかない視点で物事を捉え、無限にアイデアが出せる大人になる。

周囲から見れば全くわけのわからない活動も、本人の頭の中にははっきりとその設計図が作られる。周囲の人間に左右されず、確信を持って道を歩いていく事ができるはずだ。