『ボランティアが一番素晴らしい』というお花畑の住人
先週、毎年恒例のサンタプロジェクトの募集をスタートした際、問い合わせフォームから
『商売目的の宣伝活動だ、今すぐやめろ』
といった内容のメッセージが届いた。
そういえば昨年も『選挙に出る為の売名活動ならやめてください』なんてメッセージが来た気がする(笑)『ごめんなさい私投票所すらしりません』と丁寧に返しておいたけれど、このサンタプロジェクトに限らず、地域でボランティア的な活動をすると、度々こう言った人がコンタクトしてくる。
今回来た質問自体には、ツッコミどころが多すぎて何から回答しようと悩むけど、とりあえず『厚木の活動で利益を出してる活動は一個もねーから安心しろ』と言えば満足なのだろうか。
とはいうものの、あらゆる活動が‘‘ボランティア的’’になったのはあくまで結果論。別に『自腹でボランティア!』みたいな綺麗事をやってるつもりもさらさらないです。
と言うか、むしろ逆。
あらゆる活動に、もし本気で『長く続けていきたい』という信念があるならば、かけたお金は何らかの形で必ず回収しなければならない。それができなければ、如何なる信念、思入れのある活動であっても、その質はどんどん下がっていく。周囲を見渡せば、それはもうはっきりしてる。
『力無き良い人』は何も成すことができない
『無償の提供』を自称する活動は、世の中に腐る程あるわけだけど、自分は無償の提供を自称する活動の中に『価値ある活動だな』と思えるもを殆ど見たことが無い。
数年で消えるか、狙った成果を出せていない。そんな場合が殆どだ。
そうなる原因は明らかで、かけるべき所にはしっかりとお金をかけなければ、現実を知らない、お花畑に住んでいるような人達しか動かす事ができない。しっかりと組織内に使えるお金が無ければ、プロジェクトに関わる人材、スキル、継続力、全てが中途半端になる。
そんな組織からは、長期的に見て何かを成せる気配が全く漂わない。
何より、お金が動かない活動は、共通して個人の責任が問われにくい。
そうなれば、企画が失敗しても不満や批判の声が出にくくなる。当然、当事者達はあらゆる選択に関して深く考えなくなっていく。
わかりやすい事例として、最近は
・被災地炊き出し
・子供食堂
・海外の子供支援(学校作りとか)
みたいなボランティアがかなり流行っているらしいけど、お花畑に住んでいる人達は、こういった表面的に見栄えの良いテーマばかりに手を出す。実際には何をしたら一番世の中の為になるのか?という‘‘実際には’’という部分をすっ飛ばして、印象の良いものばかりに飛びつく。
例えば、ある被災地へ旅費や食費、合わせて10万円を使って1週間ボランティアへ行こうとする前に、
まてよ。交通費の10万円寄付して、日給8000円のバイトを一週間すれば、トータル15万円以上現地に送れるな。俺が現地に行くより効率良いんじゃないか?
とか、流行りの子供食堂を開催する前に
人は月に100回食事を取るとして、そのうち一回(毎月開催!として)が栄養満点の飯になったとしても、子供達の健康に何か変わりがあるのだろうか?
とか、
あらゆる角度から『本当に良いのは何か?』と、考えを巡らせることをしない。定番型のボランティアに、疑いの目を向けようともしない。
つまり、‘‘傷口’’を手当てする様な解りやすい活動には積極的だが、そもそも傷を作らな為にはどうすれば良いのか?みたいな根本的かつ最も効果的な活動には見向きもしない。ということ。
これに『タダでやってるんだから』という適当さ、妥協も上乗せされる。
こーいう人が集まったところで、ほとんどの場合で自分達の活動資金すら調達することができない。そして、すぐにクラウドファンディングや地域からの支援など、お金をくれそうな場所を周り始める。(それらの仕組み自体は素晴らしいものだと思うけど)
そして5年後には消えている。
地域活動をしている方、周りはそんな事例ばかりじゃないですか?
社会に貢献したければ、『有能な良い人』を動かさねばならない。
世の中に本当に価値あるものを提供したいなら、『有能な良い人』の協力を得ることが絶対条件になる。言葉で表すのは簡単、しかし実際に有能な人達を集める難易度は非常に高い。
なぜなら、有能な人は既にあらゆる場所で活躍し、多くの責任を背負い、引く手数多だからだ。
そんな彼らの協力を得るには、確かな信念、隙の無い作戦、そして十分な活動資金が必要になる。組織の実力無くして、有能な人は動かない。本当に意味のある社会運動がしたいなら、ちゃんと金をかけろ。
話を戻すと
話を戻すと、『商売目的の宣伝活動だ、今すぐやめろ』という声には
『ボランティアが一番素晴らしい』というお花畑から卒業し、表に出てない部分にも目を向けろこのアホ。
と言うことになる。現在のところ、日本での活動は全て自分の持ち出しで運営しているけど、俺は『無償の提供こそ素晴らしい』という考えは全く持っていません。ボランティア的になっているのは、あくまで現段階での結果論です。
収益が出れば健全だが、出なかろうが辞めないけどね。というだけ。
というわけで、今後も『やりたい』と思ったことには全力の信念を持って取り組んで行きますが、一見ボランティアっぽい活動も、特に『無償』という形式にはこだわりません。
自分自身が『必要だ』と思ったことを淡々と、妥協せずにやっていく。こだわっているのはその部分のみです。
重要なのは、どうすれば思い描いた理想が最高の形で達成されるのか?突き進むべき道はこれだけ。