やばい作戦考えた。

日々様々な活動に取り組み、その記録をここにまとめています。

小さな欲からチームを見てみる。

最近、facebookをよく見るようになった俺だけど。
色々な人の投稿、そしてその投稿についてのコメントを見ていて、少し思う事があったんで、今回はソレについてちょっと書いてみる。


俺が最近よく思う事、
それはっすね、多くの人が他人の発信を素直に受け取り過ぎだと言う事。


誰かが少し真面目な投稿をすれば、
『そんなことまで考えて、えらいね!』とコメントがつくし。

誰かが誰かの愚痴をこぼせば
『大丈夫?』『ひどい奴だね!』といったコメントがつく。


ファミレス等で芸能人の話になれば、『あの人は優しい。だって〜』などと以前に見たドキュメンタリー番組の話をする。


まて、テレビの特集で性格の悪い奴に映すわけないだろ!
準備してから公開されるものに真実は少ない。


「準備してから」というのは”他者に見せられる状態”
になるまで修正を重ねる事ができるということ。


そうでしょ?例えば、
あなたがFacebookで写真等をアップする時、ある程度は他人に見られる前提でアップする写真を選ぶだろうし、『どういう反応がつくかな?』と考えて文章も投稿していると思う。


少なくとも、俺はそうだ。


だから、
あらかじめ準備できる発信物には、発信者の姿ではなく、発信者の見られたい姿が映し出されることが多々あるし。発信者が周囲から‘‘どういう風に見られたいと思っているのか’’が解る時が結構ある。


例えば、『クソ旦那に浮気された!』といった種の投稿には


妻は真面目なのに旦那がクソである。= 妻がかわいそう。
といった認識を周りに求めている様子を見ることができるし。


俺のFacebookプロフィーフ写真からは
サッカー小僧に見られたい。という欲望が見て取れる(笑)


自分の”写りの良い写真”しか投稿しない女性なんかは解りやす過ぎだ。
さぞかし美人に見られたいんだろう。


もちろんね、その全てが”狙いのある投稿”だとは思わないけど、
こういう見方をすると、SNSの発信一つにも発信者の小さな欲望や全く違う情報を発見できたりする。


何気ない行動や発言から、その人の小さな欲望や、もう一つ奥の情報を発見すること。
これって人付き合いやチーム造りにとっても、もちろん会社組織にとっても、
めっちゃ大事な事だと思うわけ。


クッソ小さな言動、発信にも、
仲間の欲望や願いは現れている。