情熱で飯は食える

俺達は繋がるべくして繋がった。そんな出会いのために書いてます。

プロフィール

そいえばプロフィールどこにも書いてなかったので、このページに書きます。
 

これまでの経歴


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名前を土肥良太と言います。

2015年に日本に帰国するまでは、オーストラリアのサッカークラブBallarat Red Devilsでプレーしていました。また、選手活動と平行してチャレンジ専門店「厚木チャレンジャーズシティ」や、神奈川県厚木市を拠点とするサッカースクール「Challengerscity football 」、海外ではオーストラリア国内で日本人ハウスクリーナーを派遣するサービス「BENRISUGIYA」など、日本、オーストラリアで複数の会社、組織運営を行っています。

一見無謀とも思える挑戦も、頭を使えば必ず切り抜けられる。湧き出てくる様々なアイデアには全て挑戦したいです。そして、今後もそんな人生をずっと続けていきます。
 

小学生から高校まで。


小学1年生の夏、友人が入っていたサッカークラブを見学に行ったのを機にサッカーを始めました。小学生の時は試合に出たり出なかったり、中堅的な選手だったと思います。

中学でも2年から試合にで始めるくらいの普通の選手、高校では県内の強豪校に進学したものの、公式戦には一度も出場しないまま3年間を終えることに。

それでも、「もっと上手くなりたい」という意思が薄れる事は全くありませんでした。これは、28歳となった現在でも当時と全く変わっていません。自分の中での進歩を実感する事が何より楽しい。
 

頭を使う事を覚えた大学時代。


大学でも、もちろんサッカー部に入りました。しかし、入学したのはスポーツには全く力を入れていない東京工芸大学。部員は全部で15人足らずだし、練習に来るのは8人程度。。。

そう、弱小サッカー部です。

気楽にやるのがサークル、ガチでやるのが部活。そう思っていた僕は、初めの一年間、先輩たちと衝突ばかりしていました。

どうすればこんなチームでも強くなれるのか?2年間悩み続けましたが、3年時に主将になるという話が持ち上がります。

この話を「俺の独裁型でいいならやる」という条件付きで引き受けました。その理由は、、、


普段練習に出ている5人以外全員クビ。ただし練習参加は自由、サッカー部に入りたいやつは再入部するように。 


という、‘‘完全なる部の作り直し’’をやりたかったからです。 

再入部可能なら意味ないんじゃん?と思われるかもしれませんが、このサッカー部が無くなって困る人でなければ、戻ってくる事はありません。実際に次の日から練習に来るようになったのは、元の5人と、クビになったメンバー2人だけでした。

7人から再スタートしたサッカー部、真面目に取り組めるメンバーだけが揃ったものの、シーズンが開幕するまでに11人を揃えなければ、部は潰れてしまいます。

どうやって11人揃えるのか?もちろん考えはありました。

東京工芸大学は、多くの運動部がおちゃらけサークル状態で、サッカー部だけでなく、どの部にも部の方針に合わない、真面目な選手が1〜2人は所属していたのです。

こいつらをサッカー部には引き抜いてみてはどうだろう?

僕は大マジでそれを狙っていました。

おい。今の競技でプロになりたいわけじゃないなら、サッカー部に入れ。


最後の学生生活、単に真面目にスポーツに取り組みたいだけなら、競技を変えてもいいんじゃないか?

めちゃくちゃな話に聞こえるかもしれませんが、そうやって日々1人で自主トレをする各部の部員達に声をかけ回った結果、3人のメンバーがサッカー部へ!!ここから、各選手達が友人に声をかけてもう2人の選手が加わり、さらに新一年生が2人。

これで11人が揃った!

残りの1年間、どうなるかは全く想像できません、しかし全力を尽くすのみです。

・集まった初心者が一年でそれなりの選手に育つには?
・このチームがリーグで闘えるようになるには、どうすればいいのか? ?

 

ひたすら考え続け、様々な仮説検証を繰り返した結果、様々なアイディアが生まれました。その中には、サッカー経験者の前で口にすれば、常識はずれ過ぎて誰も聞く耳を持たないであろうモノも多くあります。

そかし、そんな突飛なアイデアを試せるのもシロウトチームのいいところ。試合ごとに様々な実験を行い、チームにフィットした戦い方を見つける事ができました。

そして、来たる産能大学とのゲーム。湘南ベルマーレと提携する強豪大学であり、1年前に20対0というサッカーとは思えない程の大差で敗れた相手です。

その時の公式レポートが残っていました。
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これが、一年間でどれほど変わったのか?

今回の試合はあくまで練習試合でしたが、僕らはこのゲームに照準を合わせ考えられる、最高の準備を積み上げてきました。

結果は、

1対1の引分け。

サッカーをしている方ならわかると思いますが、これはもう奇跡としか言いようのない結果です。もちろんゲーム内容は防戦一方と言ってもいいものでしょう。しかし、守って守って守り抜き、さらには先制点を奪うことにも成功しました。

頭をひねり工夫をこらせば、初心者集団でもエリートチームに善戦することができる。

相手チームにとっては、たかだか練習試合だったかもしれません、しかし、僕にとってはこれまでのサッカー人生中、最高のゲームです。

ゲームを通して、僕は大きな確信を得ることができました。

工夫次第で、やばいハードルも案外いけるぞ。
と。

現在、僕は何に挑戦する際も『誰よりもしぶとく』に加え、『誰よりも頭を使う』という二大項目を大事にしています。

大学卒業から現在まで。


大学についてが長くなってしまいましたが、話を戻しましょう。

現在のように『選手と経営者』という二足の草鞋を履くことになったのは、大学卒業時の段階で、サッカーの競技レベルがプロレベルになかったためです。契約できるチームがなければ、ご飯を食べていけませんので。

大学卒業時点で頭にあったのは、 本気のサッカーを続ける。とにかくこれだけ。

『それなら、自分のサッカーをサポートしてくれる ‘‘スポンサー企業’’を作れば良いのか』との思いつきから、勢いで海外起業。自分のトレーニングを経済面からサポート出来るようになるまで、経営学の勉強と並行して全力で成長させました。
 

これが思いのほかうまく行ったんです。この時も、やはり意識したのはとにかく、

誰よりも頭を使い、誰よりも工夫すること。


とてつもなく頑張った甲斐もあり、3ヶ月間という短期間で、飯が食える規模へと事業を成長させることができました。3ヶ月空きましたが、再びサッカーに集中できる環境へ。

その後、24歳にして初めてオーストラリアにあるプロチームと契約することができました。始めに入ったクラブはAltona East Phoenix SCという小さなクラブ。その後約3年間はオーストラリア国内の計三つのチームでプレーしました。 


2015年からは古傷の治療のため日本に帰国、滞在しています。2016年7月16日に靭帯の手術を受けたので、2016年12月までの復帰を狙っています。

大きな怪我です。でも絶対に復帰します。
 

帰国から現在


昨年帰国した際、『リハビリ中も何か新しい事に挑戦したい』と、帰国後すぐに立ち上げたのが、世界唯一のチャレンジ専門店厚木チャレンジャーズシティです。

自分のこれまでの経験は、地域、社会にどれだけの貢献をすることが出来るのか?様々なプロジェクトを通して全力チャレンジしています。

また、リハビリの方はかなり険しい戦いとなっており、復帰目標としていた2016年12月を超えてしまいました。

まだ走れない、でももうサッカーをしたすぎて爆発しそうなので、

『リハビリ中はプレーヤーじゃなくても良いから戦いの場に戻ろう』と、2017年に神奈川県厚木市でサッカースクールChallengerscity footballを開校しました。練習は週に2回、プレーヤーじゃなくてもトレーニングの場に戻れたことを嬉しく思います。

現在、このサッカースクールが日常の一番の楽しみですね。頑張ります。

詳しいプロフィールはこんな感じで、

具体的な活動に関しては、このブログやFacebookにどんどんアップしていますので、是非フォローしてください。

僕の気違いじみた挑戦が誰かを元気にできるのなら、SNSも捨てたもんじゃありません。      

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