情熱で飯は食える

俺達は繋がるべくして繋がった。そんな出会いのために書いてます。

『子供達のために』とはよく聞くセリフだが、本当に‘‘ため’’になるのは簡単な事ではない。

ここ一年間は、子供達を対象としたイベントを開催することが多いです。その都度その都度、今回の企画は彼らの人生にどんな影響があるだろう?と、自分自身必ず振り返るようにしています。

喜ばれる事が良い事とは限らない。


長期的に見ても良い効果が見込めるとは、どんな活動だろう?

最近、それらをもう一度考える機会がありました。

熊本地震が話題になっていた時です。

被災地のあるインタビュー動画を見たのですが、その時『何も届かなくてどうしようもありません』と言って、途方に暮れていた人のほとんどは、若い方、自分と同世代の方でした。

一方、インタビュアーが同じ避難所にいた老人の方々にマイクを向けると、、、

『なーんにも無い、がはははは!』
と、笑いながらみんなでおにぎりを作っているという、そんな対照的な映像も。 

両者は、同じ避難所での映像です。

やはり、自分達ように便利すぎる時代を育った世代は、『何もない状態』にとことん弱いという弱点を持っているのかもしれません。当たり前の基準が高すぎる。

殆どの物は、お金さえあれば誰かが用意してくれる。そんな環境が普通の現代においては、いざその供給がストップすると、即座に絶望的な状況に陥る人が多くなるわけです。

『困っています』としか言えなくなってしまう。

日本国内で大きな災害があった際には、全国から様々な支援物資が集まります。しかし、命の危機に直面する状態ではないエリアにまで、沢山の物資が集まるのは、

逆に窮地を乗り越える経験を奪っていることになるかもしれません。

何をどの程度提供すれば、長い目で見ても最適なのか?

災害の時だけでなく、『支援』と呼ばれる全ての活動で、必ず考慮すべきことだと思います。

良い事と、良かれと思っている事は別。


自分達も、ここ2年間は本当に様々な『ボランティア』や『支援』と呼ばれるような活動をしてきました。

でも、無償で提供する事それ自体が、『良いこと』と定義することはできません。正確に言うならば、土肥が‘‘良かれと思っていること’’です。

相手が子供でも、大人でも、

他人に貢献するとはどういう事か?様々な活動を重ねるほど、その難しさを感じます。

一見良さそうに見えるけど、実は何の意味も無い活動、場合によっては逆効果にすらなり得る活動。

世の中にはそんな活動が、沢山あるでしょう。

『〜のために』とはよく聞くセリフ。しかし本当に誰かの‘‘ため’’になるには、やはり相当な試行錯誤が必要。 誰かが喜んでくれた笑顔に慢心せず、長期的に見ても本当に良い効果があるのか?

考え続けなければいけません。

世の中に腐るほど存在する、一見良いコトっぽい『見せかけ』の活動。

その一員にならない方法は、とにかく自分の活動に慢心しない事、そして、長期的に見ても本当に良い効果があるのか?と、自分達の活動を分析し続け、試行錯誤を止めないこと!

やっていきましょう!