‘‘一流を育てる’’のではなく、自分の力で一流になって行ける人を育てる。
先日、チャレンジャーズシティフットボールのゲームスクールについて、友人から良太はどんな指導をしてるのか?という質問を受けた。
もちろん、一概に『こんな指導だ!』と、一つに絞ることはできないけど、指導に対する理念は、非常に非常にはっきりしてる。
子供達にとにかく、自分で考え、決断し、行動できる人になってほしい。
と、これに尽きる。
‘‘一流選手を育てる’’のではなく、 自分の頭で考え、行動し、自分の力で一流になって行ける人間を育てたい。
サッカー的に表現すれば、こーいうことになる。
今はまだ小学生のヤツ等が、いつか本気で『プロを目指したい』とそう思った時、その道を自分で開拓できる人間になってほしい。
たとえ、後に‘‘サッカーを辞める’’という選択をしたとしても、自分の力で人生を切り開いて行くことができる。
やつらがそんな選手になったら、超最高だな!
大人が手をかけ過ぎた選手はアホになる。
近年、小学年代のサッカーを見ていると、 我が息子こそプロに!!と、息子の出世にばかり関心が向いている保護者さんを、を目にすることがある。
様々なトレーニングプログラムを受講させ、ゲーム中も息子に指示を出しっぱなし。こういった英才教育タイプの育成には、俺自身かなり違和感を感じていて、長い目で見れば、
デメリットの方が大きいんじゃねーか?とすら思う。
もちろん、息子を応援すること自体に異論は無い。
だけど「サッカーのために!」と、身の回りのお世話をし過ぎたために、サッカー以外何もできない人間に育ってしまった、、、
そんな選手達を、長いサッカー人生の中で山ほど見てきた。
これは具体例を上げるまでも無く、長くサッカー界に身を置いている人なら、思い当たる選手が沢山いるはずだ。残念な事に、サッカーに力を入れてるチームになればなるほど、必ず毎年起こる光景だからね。
幼い頃からサッカーの英才教育らしきものを受けてきた選手ほど、プロのレールに乗れなかった時の反動は本当に大きい。
サッカーしか知らになら、その世界を降りれば当然活躍の場を失う。親から期待され、エリート教育を施され、ずっと ‘‘サッカーだけをやっていれば全てOK’’という環境で育ってきたのだから、当然の結果だ。
サッカー少年が一番プロに近づく瞬間は、‘‘誰も自分をプロにはしてくれない、自分でなるもの’’と気づいた時。
また、サッカーの世界に限らず、俺の周囲で現在でも活躍し続けている人、楽しく日々走り続けている人達は、皆幼少時代英才教育を施されたエリートじゃないという事実も、注目すべきポイントだ。
過去にどれだけサッカーが上手かろうが、誰かの手によって‘‘サッカーを上手くしてい頂いた選手’’は、その指導者の手を離れた瞬間、どこかで必ず行き詰っている。
これをどう見る?
今を楽しく元気に生きてるのは、皆例外無く当時からあらゆる行動に"自分で考えた痕跡"を沢山垣間見ることができた奴らだ。
そうなんだ。
結局のところ、誰かの手で、誰かを一流に育てることなんかできない。一流になりたいなら、自分の力でなるしかない。
この現実に気付いた時、ただのサッカー少年は、グンとプロサッカー選手に近づくのだと思う。そして、その事にいち早く気づいた選手を、‘‘センスがあるヤツだな’’と俺は感じる。
例えばこの仮説が正しいとするなら、やっぱり小学年代の彼等にとって、大会でMVPを取って表彰されるよりも、5人抜きが出来るようになるよりも、
自分で考えることができる。
決めることができる。
動くことができる。
そんな力を培う事の方が、長い目で見れば選手にとって100倍得があるじゃねーか。
それは、彼等が将来どんな道に進んだとしても変わる事は無いはずだ。